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Clock(trial)

老人「だろう?いくつになっても聖遺物を追い求める……いつまでも、だ」

 
――イタリア ヴェネツィア カナル・グランデ接岸

老人「――もし。”中央”まで行きたいのだが、このゴンドラで向かえるのかな?」

船頭「あぁ行けるよ。ただ一人だけだと結構かかるし、ぶっちゃけ歩いた方が早いは早いぜ」

船頭「どうしてもだったら乗り合いの方がいいか。少し待ってりゃ次の水上バスが来っから、そいつらと一緒に運んでやるよ」

老人「それで結構だ。今更急ぐ旅でもなし」 ギシッ

船頭「ようこそブラザー、水の都ヴェネツィアへ!……って、合ってるよな?違っていたら腹違いの従兄弟殿?」

老人「兄弟ブラザーで正しいよ。どちらかと言えばファーザーと呼ばれる方が長くあるが」

船頭「ジーサン、あれかい。観光かい?中央区行ったって大して見るモンねーよ、あっちこは行政区だしさ」

船頭「なんだったら、あと三人ぐらい乗せて定番観光コース廻りやったっていいんだけど、どうする?」

老人「その提案には心惹かれるがね。生憎人を待たせている身、まずは挨拶でもしなければ向こうも居心地が悪かろう」

船頭「へー、訳あり?つーか仕事?」

老人「たまには観光もしたいのだがね。是非もなく」

船頭「あー……だから直で行ったが早えーのに、わざわざゴンドラ乗ってんのかよ。風情があるっちゃーあるわな」

老人「老い先短い老人をどこまでもこき使ってくれる……まぁ、仕事も嫌いではないのがな。如何ともしがたい」

船頭「このワーカーホリックめ。いい加減に後進へ道譲らねーと、後ろから刺されても知らねーからな」

老人「忠告痛み入る。心に留めて置こう――さて」

老人「最近の景気はどうかね?近場の客を乗せ渋るぐらいには繁盛しているように見えるが」

船頭「おっと人聞き悪いぜジーサン。言っとくが俺は良心的なゴンドラ乗りゴンドリエーレだかんな」

船頭「わざと遠回りしたり法外なチップを要求したりもしねーし、さっきのもジーサンの懐具合を心配してやったんだよ」

老人「私の?」

船頭「あぁそうさ。観光地に着てくるような高そうな服でもなし、かといって地元の人間がゴンドラ乗ることもねーし」

船頭「どうせ少ない年金はたいて、バーサンが生前好きだった観光地廻りでもしてんじゃねーの?」

老人「君はアレかな。意外とロマンチストなのかな?」

船頭「うるせーよ。つーかそーゆー客多いんだよ、この街は特にな」

老人「いやそういう話ではないよ。もっと即物的なあれこれだ」

船頭「そうかい?中には満足しきってホテルのバスで手首切ったりするアホもいっからさー」

船頭「生きてりゃいいことあるって、な?」

老人「また大概なまでに斜めの上の解釈をしてくれるが、まぁ――」

老人「――それもまた、佳きかな」

船頭「景気……景気ねぇ。悪くもなし良くもなしってところかねー」

老人「一見すると大勢の客が来ているように見えるが」

船頭「あぁ大体毎年こんなもんよ。ただちっと、なぁ。ヴェネツィアの海面上昇の話は知ってるかい?」

老人「知っているとも。むしろ目の当たりにしているというか、ほらあそことか建物の腐食が進行している」

船頭「そうそう。昔は――俺がガキの時分にゃ、石畳が満潮んときに軽く浸かるぐらいだったんだぜ」

船頭「それが今はどうよ。下手すりゃ観光客の膝まで浸かるっつーね」

老人「温暖化の影響かね」

船頭「専門家の話じゃそれも含めて、どっちかって言ったら地盤沈下?ほら、元々ヴェネツィアって干潟に建ってっからさ」

船頭「地下の水脈を組み上げ続ちまった分だけ、街が沈んじまったってのが見解だそうで」

老人「高潮を防ぐ可動堰を設置しているのではなかったのか、確か」

船頭「やってるぜ?見たいんだったら外湾行ってみ、建設中のも含めて並んでっからさ」

船頭「ただ効果は分からんし金食い虫だし、つーかそもそも邪魔」

老人「有事の備えなど平時においては毛嫌いされるものである」

船頭「そうは言うがなジーサンよ。観光業で食ってる俺らにしちゃ死活問題なんだが」

老人「変わりゆく景観も海へ解けゆく街並みも、どちらもまた美しいと私は思うがね」

老人「永遠に続くものなどありはしないよ。あるとすればいと高き御方の御業のみ」

船頭「おいジーサン。俺らだって霞食って生きてる訳じゃねーんだよ」

船頭「ローマの宮殿に住んでるお偉いさんと違って、世界のためにアブラカタブラ唱えたってカネが降ってこねーんだよ」

老人「……耳が痛いね。彼らには彼らなりの悩みや葛藤もあるのだが」

船頭「――って言っちまったけど、なぁブラザー。あんた実はローマのお偉いさんだったり……?」

老人「偉くなど何も。昔は代理人のような事もしていたが、さっきも言った通り隠居した身だよ」

船頭「ならいい、てか別に俺だってローマ正教に文句ある訳じゃねーんだよ。愚痴ってみたくなっただけで」

老人「気にしていないよ。生まれ育った街が水中に消えようかとしているのに、美しいなどといった私も悪かった」

船頭「外の人間にゃ軽い問題でも俺らにとっちゃ深刻なのさ。特にゴンドラ乗りゴンドリエーレなんてやってる物好きにはな」

船頭「――て、思い出した。そうだ、誰かに話そうと思ってたんだよ!」

老人「ふむ?」

船頭「なぁジーサン、あんた……ローマ正教の関係者だったんなら、悪魔払いの知り合いとかっていないか?」

老人「悪魔払いは禁止されてから大分経つ。教会は一切ノータッチだ」

船頭「そうか……どうすっかなー……」

老人「――が、まぁ似たような人間のコネもなくはない。よかったら話だけでも聞かせて貰えるかな?」

船頭「あ、あぁ……笑わないで聞いてくれ。あんた、幽霊って信じるか?」

老人「殲滅白書Annihilatusの得意分野だ」

船頭「Ann……?なに?」

老人「失敬。話を進めてくれたまえよ」

船頭「よくさ、俺たちゴンドリエーレがやってんの見て勘違いされんだけどさ、ヴェネツィアの運河って結構深いのな」

老人「ゴーストの話とはかけ離れているようだが、そうなのかね」

船頭「そうなんだよ。こう、オールを押し込む力で漕いでるんであって、底を突いてんじゃねーんだわ。後で持たせてもいいが、届かねー」

船頭「広い運河は深いし、派生するとこだってそれなりに深けーし」

老人「そういう誤解をしていたとしても不思議ではないね」

船頭「……けどな。船にだって幅ってもんがあるし、潮の満ち引きで浅くなりゃ船底擦りそうになるとこだってあんだよ」

船頭「デカい船だったら特にだ。船体傷つくから下手に小さな運河にゃ入らねーんだ」

老人「ヴェネツィア以外でもそうだろう」

船頭「そうなんだけどよ……同業者の間で見たっつー連中が、さ……」

老人「幽霊船でもいたのかね」

船頭「……そうだって話だ。海賊映画でヴィランが乗ってそうな感じの」

老人「風情があると言えばあるようだが、それだけでは『幽霊船のような船』であり、それ以上でも以下でもないのではないかね」

船頭「ってーと?」

老人「巨大な周遊船は――無理だとしても、個人所有のプライベートシップの類がハロウィン風の飾り付けをした、という話では」

老人「よく似た船は実在しそれを見て勘違いする。夜間であればよくある話だ」

船頭「俺そう言ってやったんだよ。そんで運河の話だよ」

船頭「最初は……深夜になんかボロっちい船がゆっくり運河へ入ってくるんだ」

船頭「それはまーある話だ。昼間は基本的に観光がメインで、荷物なんかの物資は夜に降ろすからな」

船頭「複雑な運河を読み間違えて、どん詰まりにデカい船が入っちまうのもお約束だ。夜だし見づらいから」

老人「誰か案内人を付ればいいのでは?」

船頭「あー港湾の連中が付き添ってる――こともある。連中も暇じゃないし、荷主がケチ臭いヤツだったらつかない」

老人「事故を起こしてしまったら本末転倒だろうに」

船頭「その通りだ。俺たちだって大きな船が立ち往生したら、退くまで仕事が出来なくなる」

船頭「だもんでバカな船を見かけたら、一杯奢るのと引き替えに道を教えてやったりもするんだ」

老人「君たちの、その温情が逆効果になっている気がするが……」

船頭「って、船だよ、船。夜、酒屋で酒飲んだ後に、正体不明の船が狭い運河の方へ向かってくんだよ」

船頭「俺たちとしちゃそういう事情もあって、『おいお前!そんな図体で狭い運河は通れねーぞ!』って注意すんのよ」

船頭「だが聞きゃあしねー。怒鳴ろうがイングリッシュで叫ぼうが、酔っ払いが因縁つけてるとでも思ってんのかよと」

船頭「そう言ってる間にも船は止まらねー。この先の角を曲がって狭い狭い運河に入っちまった」

船頭「あーこれゃもうどうしよもうねー。クレーン船呼ぶか、船会社に連絡入れてやらねーと、って追いかけるだろ?普通はよ?」

船頭「……そしたら、ないんだってよ。船が、曲がってはずの船が!どこにも!」

老人「そうか」

船頭「……いや、リアクション薄くないか?」

老人「長生きした分だけ人よりも見聞は多いのでね。そういうこともあるかもしれない」

船頭「まぁ……俺が直接見たんじゃねーし、俺だって信じてるかどうかで言えば半々だけどよ」

老人「実害がでなければ存在しないのと同じ。ヴェネツィアの名物がまた一つ増えたと思うのも――」

船頭「……それだけじゃねーんだよ。俺が見たのは別口だ、もっとこう、リアルな」

老人「ほう」

船頭「チラッと見ただけなんだよ、夜に。ゴンドラを係留所にまで動かしていてだ、その、対岸を歩いてたんだ」

船頭「暗いのにボウッと白く光る、時代後れの、あーなんて説明すりゃいいのか」

船頭「まーあれか。一言で言うんだったら、『白い騎士』――」

老人「『氷の騎士』だよ」

船頭「――なんだよ。ってあれ今ジーサン」

老人「――潮に乗って流れ着いた先は、”ここ”か。どこまでも祟ってくれるな――」

………………プシューッ………………

老人「水上バスが着いたようだね。誰か気のいい同乗者であってくれれば佳いのだが」

船頭「あ、あぁ。そうだ――」

ガラの悪い船頭『――だからカネ払えって言ってるだろ!乗ったんだからよぉ!』

女性『す、すいませんっ!でも財布をスられたらしくて、今は手持ちがないんですっ!』

ガラの悪い船頭『だったらバックでも時計でも売り払ってこいよ!金目のものは持ってんだろ、あぁ!?』

女性『こ、これはっ主人の肩身であって!売るなんて出来ませ――』

老人「――やれやれだな」 スッ

船頭「あー、やめとけやめとけ。ありゃ詐欺だ」

老人「だろうね。水上バスが到着した途端に始ったのだから、あからさま過ぎる」

船頭「あぁそうよ。あいつはモグリのゴンドリエーレ、あの女はその女房だよ」

船頭「財布忘れたふりしてゴンドラ代払わせる。ついでにホテル代やメシ代にまで集ろうって寸法だわ」

老人「司直の手は届かないのかね?」

船頭「一応『善意で』肩代わりしてんだし、額も精々豪華な昼メシ代ぐらいでなー。被害がショボイから見て見ぬフリだ」

船頭「そもそも嘘なのかも微妙なところだ。あの売女が財布持たずに旦那のゴンドラに乗った、ってだけだし」

老人「とはいえ捨て置くのも佳くはなかろう。どれ」 ギシッ

船頭「おい、ジーサン――ったく!俺も行くから早まった真似すん――」

老人「もし。ちょっといいかね」

ガラの悪い船頭「なんだジーサン。部外者は引っ込んでろ。それとも何だ。あんたが払ってくるっていうのかよ?」

女性「い、いけませんっ!事情を話せばきっとこの方も分かってくれる筈です!」

ガラの悪い船頭「だったら警察行くかぁ?事情はどうあれ無賃乗車したのはアンタの方だ、捕まんのもどっちか分かってるだろ?」

女性「そ、んなっ……!」

老人「待ちたまえ。君もそこのご婦人へ声を荒げるのは佳くない」

ガラの悪い船頭「んだとぉ!?ジーサンやんの……か?」 グッ

老人「どうかしたのかな」

ガラの悪い船頭「なんで、押しても引いてもビクとも……?」

老人「潜った修羅場の違いだ――さて、双方ともに私の話を聞いてくれないかな?すぐ終るから」

ガラの悪い船頭「お、おぉ」

女性「はい」

老人「私が払うのではない、とは言ったが。そうではなく、これを」 スッ

女性「財布……?」

老人「君が落したものだ。そうだろう?」

女性「え?あ、あぁはい、私のものですっ!」

船頭「――おい、ジーサン!それアンタのだろうが!」

ガラの悪い船頭「おーおー、人聞きの悪いこと言ってんじゃねーよ!」

ガラの悪い船頭「ジーサンがこいつのもんだって言ってんのなら、そうに決まってんだろ。なぁ?」

老人「彼の言う通りだ。経緯はどうあれ、今”は”ご婦人の所有物だよ」

船頭「ザッケンなクソが!ヴェネツィアの面汚しが!年寄りから巻き上げてイキってんじゃねーぞテメー!」

ガラの悪い船頭「なんだとテメー!かかってこいよこのガキが!」

女性「ちょっ、やめなさいよあんた!暴力沙汰はマズいって!」

老人「――――――静かに。そう、静かにしたまえ」

船頭・ガラの悪い船頭・女性「……」

老人「静聴ありがとう。では順番に処理していこうか、まず君か」

船頭「俺?」

老人「他人のために憤りをみせる。それは佳い、義憤であったりはたまた正義感の発露でもあり、私は嬉しく思う」

船頭「い、いやぁ」

老人「だが私は君が暴力を振い、咎人になってしまうのはとても悲しいのだ。誰かのために佳かれ、と思ったことであったとしても」

船頭「それは!コイツらが悪いんだっ!」

老人「彼らに罪があり、法的に問題があるとするのであれば、石を投げていいのはその責務を担うものだけだ」

老人「緊急時ならいざ知らず、君は君の中の正義によって他人を罰しようとしたのだ。それは、いけない」

船頭「……すんません」

老人「そしてそちらの彼とご婦人、前へ」

ガラの悪い船頭「なんで俺が」

女性「……はい」

老人「罪があるのかないのか、何をもって罪とするのか、ならば罰はどうすべきなのか――という話は置いておくとしよう。あまり時間も無いことだし」

老人「ただ今日この場所で起きた出来事に関して、また君たちがして来た似たようなこと」

老人「君たちの罪は私が許そう。これ以後罪を重ねないという前提であれば」

老人「この”私”に誓えるのであれば、だが」

他の観光客A「……おぉ……」

他の観光客B「主よ……あぁ、尊い人よ……!」

他の観光客C「既に……」

船頭「(なんだ……?ジーサンに向かって膝をついて、両手を組んで。教会で懺悔するやつらみたいな格好を……?」

老人「罪というのはな。他人を傷つけるだけでは済まないのだ。自らの中に蓄積するものなのだ」

老人「その重みに耐えかね、いつか自身を苛むものなのだ。分かるね?」

ガラの悪い船頭「……」

女性「……」

老人「分からなければ、それが分かるまで学ぶと良い。君たちの時間はまだ始ったばかりなのだから」

船頭「ジーサン……?」

老人「では行こうか。皆さん、騒がせて済まなかった――アーメン」

他の観光客A・B・C「……アーメン!」

船頭「なんだ?なんかの新興宗教の教祖サマか……?」

老人「どちらも違うよ。振興でもないし教祖でもない」

船頭「つーかバカじゃねーのか。あんな高っかそーな財布ポンってくれちまいやがって、どうせアイツら殊勝な顔して心の中では笑ってんだぞ?」

老人「かもしれないね」

船頭「いいか?クズはクズだ、人殺しは人殺しだ。どこまで行ったって変りはしねーんだよ」

老人「……そうだな。負った業は最期の日にまで付いて回るものだ」

船頭「どんだけ改心した罪人だったとしても、最初から真っ当に生きてきたやつの方が上だろ。そっちが報われなきゃおかしい」

船頭「悪いヤツがたまに善行を積むより、普通のヤツが毎日している善行が評価されるべきなんだよ!」

老人「論点の違いだね。昏い道を歩いてきたからといって、これからも同じ道を進まなければいけない筈もなし」

老人「抜け出せない悪意の連鎖から、抜け出すだけの契機を与えるのも時には必要ではないかな」

船頭「だっつーのによー……あーもう腹立つ!――ってオイオイ、あんたどこ行くつもりだ!?」

老人「どこ、とは?先程も言ったが歩いて中央にまで――あぁ。断りを入れるべきだったか」

老人「待っていてもらったのにすまなかったね。稼ぎの邪魔をしてしまったようだ」

船頭「そりゃ別にいーけどな。スゲーバカ野郎見せてもらったっちゃもらったし」

老人「だね」

船頭「あー……もう!この偽善者が!いいから乗れよ!タダで乗せてってやるから!」

老人「しかし私には君へ支払えるものは何もなくてだね」

船頭「アンタはゴンドラ代を支払ったんだ、なら乗る権利がある。だから乗れ」

船頭「イヤだって言うんだったら、俺が運河へ叩き込んでからゴンドラに引っ張り上げるやるよ。さ、どうする?」

老人「……老人へ対して向ける言葉でないが、まぁ君の厚意に甘えるとしよう」

船頭「ヴェネツィアっ子バカにすんじゃねー。心意気みせた相手に意地だって通すぜ――ってほら、手ぇ出しな」 グッ

老人「ありがとう」

船頭「それじゃ改めて――ようこそ、ヴェネツィアへ!」 ガッ

老人「……ふむ。ほとんど揺れを感じぬな」

船頭「当然だ。潮の満ち引きも計算――は、してねーが、雨の日も風の日も船の上にいるんだ」

船頭「さっきのモグリのゴンドラ乗りゴンドリエーレでもなけりゃ、普通にできて一人前だぜ」

老人「潮の満ち引きも熟知していると?」

船頭「与太話聞かせちまったから不安になったのかい?俺たち以外の誰にも真似できねーよ」

老人「……」

船頭「ジーサン……?やっぱ今になって後悔したのか?いい歳して格好つけっからそうなんだよ」

船頭「あんたの知り合いに会いに来たんだっけか。そいつに金借りられなかったらウチ来るかい?ジーサン一人ぐらいだったら一週間ぐらい面倒みれるしよ」

船頭「なんてったって家には金目のもんなんざ置いてねーし!盗まれるもんたつったらかーちゃんぐれーだから!」

老人「……」

船頭「って聞けやオイ。ここは『いや、嫁を盗まれるだろ』っていうとこだろブラザー」

老人「信仰上の理由により妻帯は禁止されておる」

船頭「お、戻った。ボケちまったのと思ったぜ」

老人「大事なことなので茶化さないで聞いて欲しいのだが、ここ、ヴェネツィアに漂流物が流れ着くのはよくあることかね?」

船頭「漂流物?どんな?」

老人「そうだな、例えば――」

老人「――『船の残骸』とか、かな」

船頭「あー……難破船なアレか?」

老人「そうでもあり、そうでなくもあり」

船頭「共和国時代にはオスマントルコと散々やり合っちゃいるが、ヴェネツィアにまで攻め込まれたケースは少ないぜ」

船頭「難破船探すんだったら……海戦やってたロドス島の方が最適だろ」

老人「そちらのロマンは感じてはおらぬよ。問題なのは今どうかの話をしている」

老人「もしもつい最近ヴェネツィア湾で船が大破し、その残骸が流れ着く可能性はあるか、と問うているのだよ」

船頭「ちょい待ち。ヴェネツィアってのは元々が干潟の上へ杭打って作った都市だ。最初はどっかの部族が敵から逃げるための待避所だったらしいが」

船頭「ヴェネツィア湾も……外と比べりゃ浅いは浅い。沈んじまった船があったとしても、その破片は比較的上の海流に乗りやすい、と」

老人「だが湾になってる以上、海流の影響も穏やかではないのかね?」

船頭「当然弱いだろう。けど海流が少しぐらい弱くたって、船は通るし向岸流は発生する」

老人「向岸流とは?」

船頭「波打ち際で起きる離岸流と沿岸流、その二つを補うために発生するのが向岸流」

船頭「簡単に言えば沖合からも岸へ向かって強い海流が起きるって事だ。岸部近くの海流が不安定になってんだったらな」

老人「では仮に船の破片が流れ着くとして、可能性があるのは」

船頭「あぁ、ここに流れ着くかもな」

老人「成程、そうか。助言感謝するよ」

船頭「どうしたいジーサン。年甲斐もなく沈没船でも探そ――」

老人「どうしたね。幽霊でも見たような顔をして」

船頭「あ、あぁいや、なんだかな。俺たちの見た幽霊船の話といい、ジーサンの沈没船の話といい、よくよく縁があるなって思ってよ」

老人「あぁそうか。安心してくれていい、幽霊船と沈没船の話は別物だ」

船頭「だよな?」

老人「狙い自体は同じものだろうがね。この世界は動乱の種に事欠かないようだ」

船頭「――は?なに?」

老人「では重ねて問おう。私はその沈没船のサルベージ目的でここへやって来たのだが、腕の佳いゴンドラ乗りを探していてね」

老人「特にヴェネツィア運河の海流を熟知し、気の佳い者を雇いたいと思うのだが、どれだけ弾めば雇用できるかな?」

船頭「はっ!無茶言うなよジーサン!そんな歳になって財宝探しか、嫌いじゃねーけどよ
!」

老人「だろう?いくつになっても聖遺物を追い求める……いつまでも、だ」

船頭「当たり前だ!イタリア人で財宝探しに憧れねーやつなんてイタリア人ですらねーよ!」

船頭「ただこっちもボランティアでやってる訳じゃねーさ!カミさんにぶっ飛ばされちまう!」

老人「いつの世も男は強く、女性は逞しいものだからな」

船頭「俺を雇いたいんだったら――そうだ。金貨でも用意してもらおうか、一日一枚だ!かかった分だけもらうからな!」

老人「金貨、かね。銀貨ではなく?」

船頭「あぁそうだ!実はもうすぐ娘が生まれるんでね、将来のために貯金でも――」

船頭「――っておいおいジーサン。あんま危ないから手ぇ伸ばすなよ、ゴンドラから落っこちんぞ?」

老人「少し待ちたまえ。今用意するから」

船頭「用意ってアンタ……あぁアレか!シモンのスズメダイのことかよ!」

船頭「神の子が宮殿へ入るとき、足りなかったんで魚が運んで来てくれんだろ?嫌いじゃねーが、やり過ぎだ。ボケてっと思われんぞ!」

パシャッ

船頭「――お?」

魚 ビシャッ、チャリィィーン!!!

老人「ご苦労だった。これで佳いかね?ローマ時代の金貨だ」

船頭「お、おい、ジョーク、だろ?本当に、魚が、金貨くわえて来やがった……ッ!?」

船頭「こんな『奇跡』を起こせる、なんざブラザー!あんた、いや、あなた様は――」

船頭「――教皇猊下ファーザー……ッ!!!」

マタイ=リース(老人)「元、だがね」



閑話一 −終−

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